その声で星が揺れる

クソデカ感情ポエムの矛先

そのリキュールは、甘かったのだろうか

斉藤壮馬さん!
2ndEP「my beautiful valentine」発売おめでとうございまーす!!!

こんにちは。こちらではお久しぶりです。
久しぶりにブログを書くもので緊張しておりますが、お手柔らかにお願いいたします^^

「my beautiful valentine」リリースが決定してからというもの、もうずっと心待ちにしておりました。未来の約束された供給こそ、オタクが今を生きる糧。

みなさんもう聴かれましたか?
まだだよーという方はこの記事を読む前に聴いてください!!!!マジで!!!!

なんといっても、この記事には
「my beautiful valentine」に収録されている楽曲の内容やアートワークなど、すべてに関するネタバレが大いに含まれます。
なのでまずは楽曲を聴いてから読んでいただくといいんじゃないかなと思います。

あっ!こんなところに「my beautiful valentine」をはじめとした斉藤壮馬さんの音楽作品を聴けちゃうリンクが!!
bit.do


閑話休題

手元にやってきたCDをどういう風に味わっていくのかは本当に人それぞれだと思いますが、わたしは「斉藤さんの音楽をはじめて聴くときには、歌詞カードを見ずに耳だけで味わう」ということを自分ルールとしています。
2周目以降は歌詞カードを見て、こんなこと言ってたのか!こういう世界観だったのか!となりながらより深めていく、という感じです。

ひとまず1周聴き終えて、それからしばらく放心してしまいました。
たくさん思うことがあるはずなのに、脳内ですらそれを言語化できてないみたいな状態。
「良すぎてなんも言えねえ……ちょっと待ってくれ……俺に時間をくれ」というアレです。

今まででいちばん、咀嚼するのに時間がかかったんじゃないかなと思います。というか今も絶賛咀嚼中なわけで。
そう、わたしは今、半ば「いっそのこと書き始めちゃえば言語化できるんじゃね!?」という思考のもとにキーボードを叩いているのです。


まずはじめにEP全体を通した感想を言ってしまうと、人間の核のような、根源的な部分に、深く潜るようにじわじわと迫っていく、みたいな……そういうものが漠然と思い浮かびました。
それゆえか、全体を通してそこはかとなく死の香りが漂っているような。あとわたしはちょっぴり性も感じました。
やっぱり言語化むずかしいやないかい!

アートワークについても、最初はモノクロに映えるすこし暗めの赤、めっちゃかっこいい!おしゃれ!くらいにしか思っていなかったのですが、全曲聴き終えてから改めて見てみるとその赤が血のように思えたり思えなかったり。
赤い風船が逆さまなのもまた不穏でね~。

それから、楽曲から醸し出される闇とはなにも曲調だけじゃないのだということに改めて気づかされたEPでした。
わかりやすく曲調からして暗い、というものより、曲自体の耳ざわりは良いけど言ってること結構エグくない!?というもののほうが多かったように思います。
わたし的には「ラプソディ・インフェルノ」「ないしょばなし」「(Liminal Space)Daydream」「幻日」はそちら側かなーと。
こういったギャップみたいなものも「そまみ」の一端を担っているのではないだろうか。一筋縄ではいかない……だがそれがたまらんのだ……。

この曲がいちばん好き!というのが今回は全然決まっていなくて、この先聴き込めば聴き込むほど全部の曲が株を上げていく一方だろうからもうたぶん一生決まらないとは思うのですが、歌詞がいちばん好きだなと思ったのは「ないしょばなし」でした。

というわけでここからは、「ないしょばなし」を聴いてわたしが感じたこと、考えたことをつらつらと書いていきます。
あくまでいちリスナーの主観による感想、解釈ですので、こういう発想もあるのか~と肩の力を抜いて読んでいただければと思います。

もてあましている 何もない日々
終わって後悔?
さらさらしてないね

今まで何もない日々を持て余していた主人公だったが、何らかの出来事をきっかけにそれは幕をおろすこととなる。
しかし当の本人はというと、そのことについて全く後悔していないようだ。

あやまっている そんなこと
解っているよ
だからなんだってんだい

ひらがな表記の「あやまっている」、いろいろな解釈ができる。
わたしは誤っている、だろうか?と考えた。
平凡な日々が終わるきっかけとなった出来事は「誤っている」こと、つまり主人公は何らかの、世間一般に間違っている、してはいけないとされていることをしてしまったためこの現状に至っているのでは?と。
そして主人公は「自分がしたことは、してはいけないとされていることだ」ということを頭で理解はしているが、「だからなんだ」と言っているあたり納得はしていないといったようす。

「わかる」って、そのままひらがなにしたり、「分かる」「判る」など表記のしかたに種類がありますが、「解る」としているところにこだわりを感じました。
ほかの表記よりも、より"頭で理解している"感が出るというかなんというか。

「わかる」自体にいろんな意味があって、それを全部カバーできるのが「分かる」という表記。
その中でも特に、物事の内容や理論がはっきりとわかるというときには「解る」を、事実がはっきりとわかるというときには「判る」を使うのだそう。
今回は前者であるから、それをしてはいけないという理論は理解してるよ、といった感じだろうか。


※ここから先はわかりやすさを考慮して、実際の歌詞とは順序が前後することがあります。ご了承ください。

正常の意味を
辞書で引いたら
きれいな怪物が嗤っていた

意味を辞書で引くということから、主人公は多少なりとも「正常っていったいなんなんだ、どういう意味なんだ」と思っていることが汲みとれる。もっと言えば、自分はその「正常」の枠には入っていないのかもしれない、とも。
そして実際に調べてみると、そこでは「きれいな怪物」が嗤っていた。

正常な人とは、いったいどんな人のことをいうのだろうか。
そういうことを一度でも考えたことがある人は、この主人公だけに留まらずたくさんいるだろうと思う。
普通ってなんだろうと考えたことは、わたしにだってある。
誰が定義したのかすらわからないそのレッテルは、それでも人間のあるべき姿だとして今もこの世に鎮座し続けているように思う。

正常の意味は、「他と変わったところがなく、普通であること」。
みなと同じであること、「正常であること」こそがきれいな人間の姿であると、そういうことなのだろうか。
しかし先ほど、自分がしたことが世間一般に間違っているという事実を「だからなんだ」と一蹴していた主人公にとって、「正常」という概念は苦々しいものでしかないように感じる。

正常であるとされている人間は、上っ面はきれいにしているように見えるがとても得体の知れるものではなく、主人公からすれば「きれいな怪物」に見えている、ということなのかも。
そしてそれが、お前はみなと違うから正常じゃない、おかしい人間なんだとこちらを嘲り笑っているように思えるといったところだろうか。

なんか……切ないなこれ……
主人公は自分が周りとは違うことをわかっていながら、それがなんだってんだ!って思ってるわけだね……
人と同じであることがよしとされている環境においては、自分は人とは違うなんてこと、自覚してないほうがきっと生きやすいだろうし知らぬが仏じゃないですか。
でも主人公には「世界のものさしに従えば自分は異常なんだ」という自覚があって、普通でいること/いないことの間で葛藤している。
その葛藤があらわれている主人公の行動のひとつが、正常の意味を辞書で引いてみること、なんじゃないかな。

愛情の機微を
炭酸で割ったが
飲み干せない

機微というのは、表面上は読みとれない感情の繊細な動き。
心の機微とか感情の機微とかはよく耳にするけれども、「愛情の機微」は個人的になんとなく新鮮な響きがした。
心の、とか感情の、よりも限定的なニュアンスを感じさせる。いろいろある感情の中でもとくに愛情にフォーカスしている、みたいな。

なんでも、お酒を炭酸で割ると飲みやすくなったりするそうで(これを書いている現在、筆者はぎりぎり未成年で飲酒経験がないため、有識者に聞きました。へえそうなんだ、まあ単純に薄まるわけだしな)。ものによる、という回答も返ってきたので実際どうなのかはわからないですが。

リキュール「愛情の機微」を炭酸で割ってさっぱり飲めるようにしてみたけど、それでも飲み干せない。
主人公のグラスに愛情を注いでくれる人がいて、けれども主人公はそれをうまく受けとめることができない。みたいな感じだろうか……?

こんなグルーヴにもちゃっかり
乗ったフリしたらがっかり
されちゃうものかもね
シガー切らし 時代遅れ

ここからちょっと戻る。

グルーヴというと、波だとか流れだとか、なんとなくそういうイメージが思い浮かぶ。
グルーヴに乗ったフリをする、つまりポーズだけで実際には乗っていないということだ。
今まで考えてきたことを踏まえれば、主人公が(本当は正常ではないけど)正常なフリをする、みたいなふうに読みとることもできる。
ここでも普通の波に乗るのか乗らないのか、みたいな葛藤が垣間見えてるね。

でもそうするとがっかりされちゃうものかもね、とこぼす。
「正常ではない自分」を自覚して、葛藤しつつも「正常」を突っぱねるようなそぶりを見せてきた主人公。
擬態して正常なフリをしたって、そんな自分には失望しか生まれないかもね、みたいな感じかな。

正常とかそうじゃないとか、そんなことにいったいなんの意味があるんだよと言いつつ、自分が正常じゃないとされていることに対してわりと悩んでいるとまでは言わないまでも、気にはしているような、そういう感じが伝わってきて。
だから切ないんですよねこの曲の歌詞。うまく割り切りきれていない感じ。

それがなんとも人間らしくて、生々しくて、だからこそ聴き手は、とくに普通ってなんなんだとかそういうことを考えたり悩んだりしたことがある人には、深く刺さってしまうんじゃなかろうか。
曲調はこんなにおしゃれなのにさ……こんなのってないよ……あんたってやつはほんと最高だよ斉藤さん(誰?)。

シガーのくだりは正直あまりわかってないです。ほかのみなさんがどう思ってるのかぜひお聞きしたいところ。
わたしはなんかシガーが流行ってて(?)吸ってないと時代に乗り遅れちゃうよ~><(?)みたいながばゆる解釈しかできませんでした。わけわからんな。
自分が社会に迎合できてない、みたいなことを表現しているのかな、などと思ったりはしましたが。貴重なご意見お待ちしております。この話おしまい。

それじゃ さかしまになったり
ななめから見ればあっさり
机上のクーロン そりゃ結構ね

「さかしま」という言葉、逆さまということだろうなとなんとなく思っていたんですが、調べてみるとどうやらそれだけではなくて「道理にそむく」という意味もあるらしく。言われてみれば確かに、道理とは逆のことをする、ってことでそういう意味もあるのね、と納得。またひとつ賢くなった。ありがとう斉藤さん!

そしてわたしは前に出てきた「あやまっている」とのつながりを勝手に感じ、ヒェ~となるなどしたのであった。主人公、おまえいったい何したんや……

「ななめから見ればあっさり」もむずかしくて、何言ってんだろう……になってます。文の構造的にあっさりのあとには何かしらの言葉が省略されているはずで、それがなんなのかわからずなので。「ななめから見る」は、斜に構えるみたいなことを表現してるのかもな~とは思いました。

とはいえこのあたりは語尾を「〇っ〇〇」で統一することでリズムとしての心地よさを重視している部分なので、そこまで深い意味はないのかもしれませんね。
語感だけでなくオクターブ上のハモりも気持ちよくて、ちゃっかり♪がっかり♪と思わず口ずさんでしまう。たのしい。

そして机上のクーロン。カタカナ表記にしたことで、これまたいろいろなクーロンが連想される。
まずは空論、それから九龍、クーロン(の法則)……などなど。
でもこれをカタカナにしたのは、2番Bメロの同じ部分にあたる「気丈なクローン」と表記を寄せるためっていうのもあるかもなーとは思う。

具体的にどういうところが正常でないのかはまだあまり見えてきていないが、社会に迎合できない主人公。いっそのこと道理にそむいてみたり斜に構えてみたりすれば、それも意外と簡単に割り切れちゃうのかも?なんて、そんなことできやしないくせに。机上の空論だ、そりゃ結構なことじゃないかと誰かが笑いながら言う。

……これはちょっと無理あるかぁ~~~!?(白状)(素直)
ぐるぐる考えたけどこの辺はむずかしいです^^

果たしてこれを考察ブログと呼んでしまっていいのかどうか……などと一瞬思ったりしましたが、まあわたしは!わたしの聴きかたに自信と誠意と責任を持って*1この記事をお届けしているので!モウマンタイでしょう!

ということで2番も見ていきましょう。まだまだ続くよ。

環状に沿う
倫理と言葉はどうだい
不等価交換だね

この「かんじょうにそう」、はじめて聴いたときには「感情に添う」なのかな~と思ってたんですよ。さっきサビで愛情がうんぬんって言ってたしね。
それで歌詞カードを見てみたら実際には「環状に沿う」と書いてあって、おおっ!と。驚きました。

でもこういうところがすごくおもしろくて、耳で聴くのと目で見るのとでそれぞれに違った印象を受ける。一度に二度おいしい的なね。
意図してのことなのかどうかはわかりませんけれども。ミスリードかと思ってたけどダブルミーニングの可能性もなくはない気がしますね。わりと意味通るし。

とくに、「環状に沿う」「感情に添う」このふたつは発音は同じなのに意味的な質感が結構違っていて、そこにもおもしろさがある。
「感情に添う」は字面通りではあるが結構情緒的な印象を受ける。けれども実際の歌詞は「環状に沿う」で、存外に無機質なフレーズだったんだなとそのギャップに驚かされる。
そうや、この振り回され感がたまらんのや……

ところで、「環状に沿う倫理と言葉」ってなんなんでしょうね。
環状に沿う、つまりはまるく収まる、つまりは当たり障りのない、みたいなこと?ちょっと無理あるか。
不等価交換ってことはそれが割に合ってないってことだよな。なんか急に哲学みが濃くなってきたな。むずかしいなりに考えてみる。

沿うという言葉には「基準となるものから離れないようにする」という意味がある。
基準となるルールに沿った倫理や言葉――「環状に沿う倫理と言葉」とはすなわち、「正常な人間でいること」と同義であると解釈することもできるのではと思うわけですよ。
でも正常じゃない自分がわざわざ周りやルールに従ってまでそれをすることは割に合わないよね、その労力とそれをすることで返ってくるものは不等価交換(もっと言えば、労力>見返り)だよね、みたいな。そんなところだろうか。

劣情装う
そんなジョークは脳を
眠らせているだけ

劣情とは、人間の持ついやしい心情。性的な欲望や感情を卑しんで呼ぶ語でもある。ここではおそらく、人間ならば誰しもが持っているとされている感情、くらいの意味で使われているのかな。
たとえばその中でも性欲は人間の三大欲求のひとつであるから、人間であれば生理的に持っていておかしくない。しかし主人公はそれを「装う」ものとしている。ここから、主人公はそれを持っていないということが推測できる。

人間ならば誰しもが持っているはずの感情(=劣情)。それを持っていないけれども、持っているフリをする(=装う)。
つまりはこれも、正常な人間に擬態するということを指しているのではなかろうか。

「そんなジョークは脳を眠らせているだけ」と評する主人公。おお……結構な切れ味だね……
わかりやすく、かつ強めの言葉で意訳してしまえば「冗談言うな、そんなことするなんて思考停止してる」みたいな感じだろうか。

主人公、自分が正常な人間じゃないことを気にしつつ、かといって正常な人間のフリをすることもあまりよしとしていない。
こういう葛藤、しんどいだろうな……と見ててすごく思う。きっと苦しいだろうね。
葛藤しているということは、それだけそのことについて考えて向きあっている証なのだけれど、うまく折り合いをつけられずなかなか前に進めていない感じ。

曲調のようにさわやかにはいかない、陰鬱とした歌詞……
読み解けば読み解くほど息が詰まっていくこの感じ、悪くないですね(マゾかな?)。

ほらね 当たっていたやっぱり
それはそれでもうさっぱり
なれちゃうものかもね
シガーに火をつけさせて

再び来ましたね「〇っ〇〇」タイムが。1番よりよくわからんなここ……(貴重なご意見お待ちしております)
なにが当たっていたのやら。前のAメロと内容があまりつながってなさそうな気がするんだよな。
「なれちゃう」は慣れちゃう、とかだろうか。
やはりここは響きを重視しているっぽいので、あまり触らないでおくことに。

1番では切らしていたシガーに、2番では「火をつけさせて」と言っていますね。
例のがばゆる解釈に従ってみると、ここで一度迎合しようとしてみてる?のかな?

これじゃ なめくじのはったり
損な役回りばっかり
気丈のクローン そりゃ熱望です

なめくじというと思い浮かぶのが雌雄同体。ひとつの個体が雄と雌の生殖器官を両方持ち合わせているということです。
ここでは本来の意味そのままというよりは、相反するふたつのものを持ち合わせていること、くらいに思っている。
そしてここでまさかのがばゆる解釈が生きてくるんですけど(ウケる)、主人公が正常な人間に擬態する=「正常」「正常でない」という相反するふたつのものを持ち合わせることになるわけですよね。
そしてはったりとは、わずかなことを大げさに言ったり、ありもしないものごとをあるように見せたりして他人を圧倒しようとすること。

主人公が正常な人間に擬態することは、自分の中にありもしない「正常」をあたかもあるものかのようにふるまうということ。そんなものは「なめくじのはったり」でしかないと。
そして正常な人間のフリをするには、その見返りに見合うと思えない労力を使う必要がある。「不等価交換」、要するに「損な役回り」だ。

「気丈のクローン そりゃ熱望です」はかなり切実というか、疲れちゃっている主人公のようすがよくわかるフレーズだなと思います。
心を強く保てる(=気丈)もうひとりの自分(=クローン)がいてくれたらどんなにいいか、って。
主人公は、わたしが思っていたよりも繊細な人なんだな……と思いました。

最初の日々を
続けていたら
きれいなまま 息が苦しいって

「最初の日々」は、冒頭の何もない(実際にはそれは終わってしまったので、何もないことを装っている)日々、という解釈でいいかしら。
なにか間違っていることをしてしまったけどそれをないしょにして、これまでとは変わらない生活を送り続けている主人公。
はたから見ればそれは本当に今までとなんら変わっていないように見えるけれども、当の本人は息苦しさを感じている。
ないしょにしていることが苦しいのか、それとも曲中でずっと繰り広げられている葛藤が苦しいのか。

珊瑚のひびを
誤魔化すような
とうに戻んない

珊瑚を深海の底から引きあげて採取するときに、水圧の差によってひびが入ってしまう、ということがあるらしい(ちなみにそのひびのことをクラックと呼ぶんだそう)。
主人公は今、例の出来事をきっかけにして生活に入ってしまった亀裂を誤魔化してばれないようにしながら生きている、みたいなことだろうか。

いろんな色があるみたいですが、なんとなく珊瑚といえば赤色っぽいイメージありませんか?珊瑚色とかもあるしね(コーラルなのでどちらかというとピンクに近いけど)。
そして、珊瑚は死んだら白くなる。これは珊瑚についてる肉が削げ落ちて骨格だけになるからだそうです。
もしかしたらのちのちわかることがあるかもと思って記しておきました。

たまにはちょっと ひとりきりで
ぶらつく街も 悪くはないや

2番サビ終わった後急に転調?してる?よね……?(自信なし)
ふ~!とか言っちゃって急にご機嫌になってるし。歌詞もこれ以前と比べるとメンタル上向きめな感じがする。情緒が……不安定……

ちょっと聞き捨てならないんですけど、これ口ぶりからしていつもは一緒に歩く相手がいる(=ひとりきりじゃない)けど今日はいないってことですよね……?ここに来て不穏。
そんで主人公さん、ひとりもまあええやんってなってるし。

あの日もこんなふうに 偶然の
いたずらに 惑わされてしまったのかな

「あの日」というのは、順当に考えて例の出来事が起こった日だと思うんですけれども。
「あの日」の出来事も、今日こうしてひとりでぶらぶら歩いてるみたいに偶然起こったことなのかな~と主人公は考えている。
ということはいつも一緒に歩いてるはずの相手が今日はいないということも偶然……ということになるのか……

それから、この文は
「あの日もこんなふうに(自分が)偶然のいたずらに惑わされてしまった(から、その出来事が起こった)のかな」
と補うことができるので、その出来事というのは、主人公がみずから起こした何らかの行動なのではないかと推測することができる。
いったいなんなんだろうねー……

感傷の意味を
風に撒いたら
きれいな紙屑が暴れだして

さあ!ラスサビ来たよ!
Twitterでちらっとこの部分が解禁されたときから、美しさと切なさが同居していてめちゃくちゃ素敵な歌詞だなと思っておりました。
曲中でもわたしのいちばん好きな歌詞です。

1番のサビで辞書を引いていたので、ここの歌詞を見てもやはり辞書のイメージがあって。
あるフレーズを聴くと決まっていつも同じ映像のイメージが頭の中に流れる、みたいな脳内MV的な現象がときたま起こるんですが、この部分を聴くと辞書の「感傷」が載っている1ページをびりびりに破いた紙屑が風でぶわっと舞い上がってとんでいく、みたいな映像で頭がいっぱいになります。きれい。

感傷というとセンチメンタル、なにかを感じて心をいためる、みたいな感じですね。
わたしは個人的にどうしても上記の映像のイメージがめちゃくちゃ強いので、主人公が持っていた感傷的な気持ちが風にさらわれて消えてしまったのかな、なんてことを考えていました。
でも風に撒くって、自発的な動作ですよね。自分から手放した、のほうが自然かもしれない。

ないしょのきみを
どこにやったか
思い出せない

まさかのここではじめて出てくる人称代名詞。そして「きみ」という存在。
この「きみ」という人が、主人公のグラスに愛情を注いでくれる人であり、いつも一緒に街を歩いていた人なのだろうかと推察。
そしてその「きみ」が今日はいない、と……

この部分を考察する前に、みなさんに言わねばならないことがあります(なに!?)。

ここまできたのでもう率直に言うと、わたしは主人公が「きみ」を殺してしまったのではないだろうかと思っていまして。
「きみ」を殺してしまったこと=例の出来事 であると仮定して、改めて歌詞を見ていくと、

・主人公がしたこと(=人を殺すこと)は世間一般に間違っている
・主人公はあの日以降人を殺したことを隠しながら(人を殺していない=正常な人間であるフリをして)生活していて、息苦しさを感じている
・珊瑚は死ぬと白くなるということから、死ぬと血色を失う人間が連想できないこともない
・いつもは一緒にいるはずなのにいなくなった誰かの存在
・その誰か(=きみ)が今日はいないこと=主人公がきみを殺してしまったこと=偶然

といった感じで、繋がる部分があるんですよ。

とはいえ、この曲の時間軸が完全に出来事のあとであること、出来事の内容に関する言及が全くないことから、わたしは思いつかなかったけどほかにもいろんな可能性があるんじゃないかなと思います。貴重なご意見(略)。

この主人公が人を殺してしまった説は終盤までいかないと立てられないので、そうなると今までに読み解いてきた歌詞の感じ方も変わってくるわけです。

まず、この主人公の「正常でない」部分って結局どこなの?という話だが、わたしは「人と比べて感情が乏しい」ことなのかなと思った。
ひらたく言えば、サイコパスっぽい感じ。自分自身の感情の起伏があまりなく、他者の感情に対しても疎い。
それゆえか、「きみ」を殺してしまったことを偶然のいたずらかななどと考えている(明確な殺意になりうるような強い感情がみられない)。
「きみ」から愛情を注いでもらってもそれをうまく咀嚼できないところや、人間であれば誰しもが持っているとされている感情を自分は持っていない、としているところからもそれが推察できる。

しかしおそらく実際の乏しさ以上に、自分でそうだと思い込んでいる節も割とあるんじゃ……とも思った。
ここまで歌詞を読み込んできたわたしから言わせれば、全くもって感情がないなんてことはないと思うんですよ。この人。
そもそも自分が周りと違うことに対して葛藤しているし、隠しごとのある生活に息苦しさを覚えているし。人間らしさを感じさせるフレーズも確かにあった。

それからずっと、正常である/正常でないという、比較的大きめなスケールのテーマについて考えをめぐらせていた主人公だったが、この説をもとに考えると、主人公は「自分が人を殺してしまったこと」自体に対してもまた、葛藤していたのではないだろうか。

なんらかの理由(これについての言及は全くないが、偶然のいたずらと表現されていることにかなりの恐怖を感じる)で「きみ」を殺めてしまった主人公。
してはいけないことだったということを理解しているが、納得はしていない。そしてそう考えている自分、それをしてしまった自分は正常な人間ではないのだという自覚が生まれる。

前々から若干気にはなっているけどそこまでではないな、っていう悩みの種のようなものが、ある出来事をきっかけに突然芽を出してくる、みたいなことってあると思うんですよ。
主人公は「きみ」を殺してしまったことで、うすうす感じてはいた「自分ってもしかしてみんなとは違うんじゃ」という思いが大きくなってしまった。


そして最後のフレーズ。
葛藤の末に、主人公は感傷を失ってしまった。それと同時に、「きみ」の行方まで失ってしまった。

これは、主人公の抱えていた感傷の中には「きみ」がいて、つまり主人公は「きみ」を殺してしまったこと、「きみ」がいなくなってしまったことに対して、多少なりとも心をいためていたということである。
しかし自分には感情がないと思うばかりに、持っていたはずの感傷を手放してしまった。
なあ、ちゃんとあるじゃないか、感情が……
しかし悲しいもので、失ってからその存在や大切さに気づくこともある。


感情がないことに悩んだ末に、またひとつ感情を失ってしまった、ということですね。





いかがでしたでしょうか。
我ながらなにこれめっちゃ切ない……それどころか悲しい……な解釈になってしまった。
でもこの曲大好きです。ほかの曲も大好きだし。どれもはやくライブで聴いてみたいなー!!!!!!!!!

さすが「my beautiful valentine」なだけあって、ダークな方向に転がっていったな。
ほかにもいろんな解釈、考察のしかたがあると思うので、みなさんがこの曲を聴いてどんなことを感じるのかもめちゃくちゃ知りたいです。
……お題箱でも設置しとくか。
最後に載せておくので、感想や解釈などなどもしあればお気軽に投げていただけるとうれしいです^^


少しでも楽しんでいただけていたら幸いです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

なにかあればこちらまで。
odaibako.net

*1:斉藤壮馬さん インタビューharajuku-pop.comより