その声で星が揺れる

クソデカ感情ポエムの矛先

あのね、ぼくはきみが大好きなんですよ。

あのね、ぼくはきみが大好きなんですよ。
それはきっと、きみが思っている以上に。


いつも考えている。ぼくはきみのどこを、どんな風に好きなんだろう。
星の数ほどいる人のなかで、どうしてぼくはきみを選んだんだろう。

きみを好きになってからずうっと考えているけれど、その答えはまだ出ていないし、これからも出ることはないと思う。
それでも、きみにこの気持ちが、声が、すこしでも届いていますようにと、ぼくは祈っています。



ぼくはきみの声が、大好きです。


あのとき、きみの声を聞いたぼくは、はじめてひとの「声」に惹きつけられました。
きみが初めてだったんだ。このひとの「声」が好きだ、と思ったのは。

甘くて爽やかで、クリアな質の声に乗る吐息はしっとりと色気を含んでいて。
一本しっかり芯が通っているのにどこか儚くて、耳にやさしく、けれどもつよく沁みてゆく。
そんなきみの声にすっかり恋をしてしまったぼくは、それから来る日も来る日も、いろんなキャラクターに生命を吹きこむきみの声を、そしてなにも飾らないきみ自身の声を、たくさんたくさん聞いてきました。

ねえ、好きになってから数年経った今でも、きみの声を聞くとぼくの心臓は忙しなく跳ねるんだ。
きみが話しだすと、たちまち空気が澄み渡るような気がして、まるで、その瞬間は世界中でたったひとりきみだけが、この惑星に満ちた空気を震わせているかのような感覚に襲われるんです。

そのくらい、ぼくにとってきみの「声」は特別なものなんだよ。この気持ちを、どうか恋と呼ばせてください。



ぼくはきみの演技が、大好きです。


きみは今まで、本当にいろんなキャラクターの人生を背負って、彼らに生命を吹きこんできましたね。
そしてこれからも、まだ見ぬ彼らとの出会いは絶えないのでしょう。

きみは「キャラクターを演じるとき、自分と似ている部分を探すというよりは、そのキャラクターだったらどうするかを考える」のだと、いつも言っていますね。
自分ではない誰かの気持ちに寄り添って、それを自分のなかに落としこんで、声にのせて届ける。
キャラクターに生命を吹きこむきみからは、いつも驚くほどにきみの気配がしないから、きっとぼくには到底測り知れないほどの想像力、集中力、努力をもって、役と向きあっているのでしょう。

きみはそれをさも当たり前なんて顔で、そつなくやってのけてしまうけれど。
そのぴんと伸びた背筋、深いお辞儀、ぐっと力が入ってかたい指先。
きみの立ち居振る舞いのひとつひとつをみて、ぼくはいつも、
ああ、きみがこれまでに滲ませてきた血が、流してきた汗が、今この瞬間のきみを最高に輝かせているんだな。
でも、ぼくにみえているこれはおそらく氷山の一角にすぎなくて、ぼくの窺い知れないところにはもっとたくさんのものが積み重なっているんだなと、なんだか誇らしいような、誰かに自慢したいような気持ちになるんです。

だからこそあの夏、いつも以上に目に輝きを湛えたきみがすこし声を震わせながら紡いだ言葉を聞いて、胸がきゅうう、と締めつけられるような心地がしました。

ぼくは知っています。
きみがいつも、生まれもったものや周りからの評価に決してあぐらをかかず、血の滲むような努力を重ねていること。
マイクの前で、舞台の上で、空気を揺るがすその一瞬を最高のものにするために、本当にたくさんの時間を、情熱を、きみがかけていること。

そんなきみでも、これでいいのかと迷ったり不安になったり、舞台に立つことが怖くなったりすることがあるのだということを、あのときはじめて、きみの言葉を通して知りました。

ぼくの知らないところで、知るよしもないところで、悩んだり迷ったり苦しんだりするきみに、ぼくがしてあげられることは何もない。
そこには無力感もあったけれど、それ以上に、いちばん近くていちばん遠いところからきみをみているぼくにできることは何なのか、改めてよく考えました。
だからぼくはこれからも、きみがみせてくれる世界に精いっぱいの拍手を、声援を、笑顔を、言葉をおくろう。
きみが全身全霊でぶつけてくる気持ちに、ぼくも全身全霊の気持ちを返します。

お芝居を通して、きみがいろんなものをくれることがとても嬉しいです。
いつもありがとう。



ぼくはきみの言葉が、大好きです。


きみを目で追うようになって、きみの言葉にふれるようになってから、出会うすべての人の言葉にふれることがひとつの楽しみになりました。

ブログやエッセイに雑誌のインタビュー、ラジオや生放送のトーク
ぼくはいろんなところできみの言葉をみつめて、耳を傾けてきました。

ふれればふれるほど、よくわかります。
発した言葉が誰かを傷つけるナイフにならないように、いつも気を配っていること。
でもそれと同時に、きみの言葉はただ優しいだけのものではないことも。

ぼくの胸がいっぱいになって、ふわふわと浮き足だっているとき。
共有しているえも言われぬ気持ちを言葉にすることで、きみは寄り添ってくれる。
ぼくが先の見えない不安に、なんとなく沈んでいるとき。
きみも同じ渦のなかにいるはずなのに、確信を持った言葉で、きみはぼくの手を希望に向かってまっすぐに引いてくれる。

数えきれないほどきみの言葉にふれて、そのたびにぼくは、今この瞬間に心をかすめた気持ちを自分の手でしっかり抱きしめよう、言葉にする努力をしよう、と思えるんです。

きみの言葉でぼくがどれほど救われるか、強くなれるか、たぶんきみは知っているけれど、知らないでしょう。
だから、何度でも伝えます。今までも、これからも。
ぼくは、きみの言葉にたくさん救われています。
いつもありがとう。



ぼくはきみの歌が、大好きです。


きみの歌は、ぼくにいろんな言葉を、音を、力を、世界を、届けてくれます。

ぼくがそれをいちばん強く感じたのは、はじめて「エピローグ」を聴いたときでした。
今までに経験したことがないほど強く心を揺さぶられて、この歌を受けとったぼくはなにか自分にできることをしたい、と半ば衝動に突き動かされるようにこのブログを開設して。
そうしてぼくは、たくさんのことを知られました。
「好き」を言語化するのは難しいということ、でもそれと同じくらい楽しいということ、言葉にしてはじめて知る自分の気持ちが、確かにあるのだということ。
そしてそれをすることで、きみのことをもっと好きになれるのだということ。
ぼくが今こうしてきみへの想いを言葉にできているのも、きみのおかげなんだよ。ありがとう。

輝きながら揺らめく緑のなかで歌うきみの姿を、ぼくは一生忘れません。
あの日、ライブの序盤でわけもわからず泣いてしまいそうになったことを今でもよく覚えています。
ギターを弾きながら伸びやかな声で「デラシネ」を歌うきみは本当に幸せそうで、これはぼくが感じたことだから本当のところは分からないけれど、おれ今生きてるんだ、これでいいんだ、って顔をしているような気がして。
そうだよ、きみは今生きてるよ、最高に輝いてるよ。
そんな思いを、ぼくの光に込めた。すこしでもそれがきみに届くことを願って。

その夜。いちばん最後のMCで、きみは話してくれたね。
若い頃は苦手なものが多くて、生きるの苦しいな、なんて思っていたけれど、歳を重ねるにつれていろんなものを受け入れて、愛せるようになってきた。
それを聞いたとき、さっき自分が泣きそうになった理由が、何となくわかった気がした。

ぼくはきみのことを、人間味があまりなくて、自分とは違う生きものなのではないかと思うことがよくあった。
だけど、そうじゃないんだとわかったんだ。
あのとき、すこし瞳を潤ませながらもぽつ、ぽつ、と言葉を紡いでくれたきみが、これまでにないほどぼくの近くにいるような気がした。
そして、ああ、ぼくもいつかきみと同じように、いろんなものを受け入れて、愛せるようになる日が来るのかもしれないな、と、そう思えたんだ。

きみは確かにぼくと同じ人間で、悩んだり迷ったり苦しんだりすることもある。
そしてそれらを乗り越えて、きみは今ここにいる。それらを乗り越えて、いつもぼくの前に立っていてくれる。
大げさだと言う人がいるかもしれないけれど、ぼくにとってそれは奇跡のようで、運命のようで、でも本当はきみの強い気持ちや努力が積み重なって、実を結んだからこそのことで。


ねえ、ぼくにとってはそれが、本当に嬉しいんだよ。

きみが今この瞬間も、生きてくれていること。
きみが好きなものを、きみの手で、きみの声で、たくさんぼくに届けてくれること。
ぼくがきみのことを心底いとおしいと感じるには、それはもう十分すぎることなんだよ。

そうしてまた目の奥がじんと熱くなったけれど、手を伸ばせばふれられそうなほどそばに感じるきみを見失いたくなくて、ぼくは唇を強く噛みしめながら前を見据えた。
その先にいたきみは、これまでにみたどんなきみよりも慈愛に満ちて美しく、人間らしくみえて、やっぱり我慢できなかったぼくはこみあげて溢れたいとおしさが目からこぼれおちていくのもかまわずに、心のなかで何度もつぶやいた。

ありがとう。



ぼくはきみのことが、大好きです。


きみがきみとして、この世界に生まれてきてくれたこと。
きみが声優になる道を選んで、今日まで歩んできてくれたこと。
きみがぼくを、その声で呼んでくれたこと。

そのすべてがぼくときみの今につながっているのだと思うと、ぼくは胸の奥がじんわりあったかくなるような、この世界をぜんぶ抱きしめて心から愛せるような、そんな気持ちになるんです。


ぼくの気持ちは、声は、すこしでもきみに届いただろうか。
それは、ぼくにはわからないけれど。

星のようにまばゆく光るきみにぼくが捧げる祈りの名前は、きっと「愛」だ。



あのね、ぼくはきみが大好きなんですよ。
それはきっと、ぼくが思っている以上に。








あとがき


この文章の書き方には、元ネタというか、本家の方がいらっしゃいます。

whynot4696.hatenablog.com

こちらの記事です。何度読んでも胸があたたかくなる本当に素敵な記事なので、ぜひ読んでいただきたいです……!
引用させていただくと、この文章の縛りは一人称が「僕」であること、二人称が「君」であること(個人的なこだわりで表記はひらがなにさせていただきました)、そして「好き」を繰り返すこと、というものでした。

わたしはこの記事をフォロワーさん経由で見つけて、わたしもこんな文章書いてみたいな~!と思い、筆をとった次第なんですけれども。
あれ、おかしいな……わたしが書くとキモオタのクソ重ラブレターにしかならなかった……

でもなんかこう、そのときそのときに受けた供給の好きポイントをガーッと文章にするのは日常茶飯事ですけど、こうして改めて推しの好きなところってなに?って考えて言葉にする、というのは何だかんだではじめてだったので、苦戦しながらも楽しく書きあげられました!


改めまして、素敵な文章を読ませてくださった本家ブログの主さま、この記事を最後まで読んでくださった皆さま、本当にありがとうございました!